坪倉正治のベラルーシ訪問記

ベラルーシから帰国した坪倉から連絡がありました。
 非常に示唆に富む報告でしたので、ご紹介させて頂きます。原発災害からの復興は、福島もベラルーシも変わらないようです。
 いかに現場で頑張るかです。是非、お読みください。
(引用)

ベラルーシのゴメリ地区にて、Prepareというヨーロッパの放射線災害対策の専門家の会合に参加して参りました。首都のミンスクから300kmほど離れた、チェルノブイリ周辺20kmから50kmぐらいの地域です。

ベラルーシやノルウェー、フランスの放射線防護関係の専門家が主体となり開かれた会合で、福島での経験をお話しする機会をいただきました。ヨーロッパ各国はチェルノブイリでの対応から、放射線量をいかに下げるかということには重点を置いてきましたが、今の福島で起こっているような社会的な変化や個人個人への対応についてはまだまだ情報やノウハウが各国には少ないことを感じました。今後も発信を続けていきたいと思います。

exclusion zoneの中にも入れていただきましたが、既に大分線量は低く、結局道中で最も線量が高かったのは、国際線の飛行機の中でした。

貴重な機会をありがとうございます。今後とも勤めますのでご指導くださいますようどうぞよろしくお願い申し上げます。
坪倉

今回の訪問で個人的に感じた点は以下です。長文ですのでご興味ありましたら、参考までに。
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① 放射線災害への対策について、被ばく量を下げることには重点を置いてきたが、今の福島で起こっているような社会的な変化や個人個人への対応についてはまだまだ情報やノウハウが少ない。
 チェルノブイリ事故後、ヨーロッパ諸国は大なり小なり汚染されたため、イギリス、ノルウェー、チェコ、スロバキア、フランスなど、多くの国の規制当局は食品の出荷制限や放射線管理を行った経験があるようです。ただ、毒物をいかに避けるか、化学物質の濃度管理みたいなイメージしかなく、低ければ問題なくて、高ければ規制という意識。
 災害自体が様々な影響を及ぼすこと。特に地域や文化との折り合いを考えながら対応しなければならないことや、差別への 対応や自尊心、故郷をどう守っていくかなどについて、経験が無い。というより、そんなことが起きることを十分に認識していない印象でした。それを理解しているのは、サーミの対応をしたノルウェーの方と、ベラルーシの住民(当局除く)、ベラルーシに常駐しているフランスの専門家ぐらい。なので、どの物質が汚染されやすいかという質問についてはいろんなことを教えてくれるが、その先の話題になると続かない。この点については日本の我々が試行錯誤や結果を発信し ていなかいと、恐らくほとんど誰も分かってくれない。

② チェルノブイリと福島は、住民の反応や、差別の問題は同じ部分があるけれども、被ばく量や管理については明確にレベルが違う。
 事故から10年近く放っておかれた国と、何だかんだ言って直ぐに検査体制や食品管理が引かれた日本では状況が全く違うことを改めて感じました。10年弱も、あまり気にせずに(というか知らずに)普通に生活を続けていた状況とは被ばく量の桁が違いますし、データからも明らかですが、福島が同じとして語るにはあまりにも無茶だと改めて思いました。30年前の情報量とインターネット、コルホーズと流通体制、共産主義、ソ連、広大な土地(しかも平野)全てが違うなと思いました。ベラルーシはレーニン像があちこちに建ったままで、半分ぐらいの人口がロシアに吸収されることを望んでいるようです。スコットランドと状況は一緒、エネルギーの問題でロシアからのガスを止められたら厳しいですし、ロシア経済が持ち直したため、完全に地位が逆転、2019から原発動かさざるを得ないという状況のようです。ただ、差別や偏見の問題、被害者としての立場と自立のバランスなど、長く続く問題は同じです。

③ 現地での教育や検査体制はキーとなる人間の存在に強く依存してしまっている。
 原発20km近くの地区の高校で、放射線教育がしっかり行われているのは、キーとなる先生が一人いてその方が頑張っているからでした。ミンスクや他地区での放射線教育の充実も(現地のために)重要だと当局の担当は思っているようでしたが、草の根では広がらないようです。WBCなどの検査や食品検査も、規制で決まっている部分は長期間の対応が続けられているようですが、それ以上のことは厳しい。良くも悪くも頑張る人がいないとなあなあになるしその人次第。どこの世界も一緒だと思いました。

④ 結局の所、汚染された地域が立ち上がるための、何か救世主のような特別な処方箋はない。
 チェルノブイリ近くのプリチャピという町は、移設されスラブビッチ(ロシア)というところから原発に今も作業員が向かっています。スラブビッチは教育投資や、公共施設の充実などいくつかの施策は打たれたようですが、廃炉のための町として存続していて、何か特別な産業があるわけではない。
 訪問した20km地域にあるベラルーシの町では、普通に生活が営まれていました。学校に通ってそこから帰る子ども、何か音楽を聴きながら散歩している大人、普通の田舎でした。その中にも、上記のように頑張ろうとする地元出身の個人がいます。その方をしっかりサポートする体制を維持しながら、再度地域を育てていく。ということ以外に、何か一足飛びに答えにたどり着けるわけではないことを再認識しました。こつこつ小さな成功体験を踏むしかないと感じました。

⑤ 原発災害の社会的影響について、原発周辺の地区では系統的に調べられていないし、対応もあまりされていない。
 高齢化とか、その後の産業をどのようにして維持していくか。人口をどうやって維持するか。みたいなことを我々は議論していますが、彼らはそもそもそういうことを考えたことがない。という印象でした。上記の放射線対策ともつながりますが、被ばく量の管理に重点を非常に置いていて、それ以上のことはあまり、という印象を受けました。

(番外)
⑥ ウォッカを飲んでやたらと踊る。
 一人一人が何かしら演説をして、ウォッカを乾杯するというTOCT(トースト)を繰り返します。そしてやたらとカラオケと踊りが好きです。コサックダンスではなかったですが、ウォッカは強すぎるし、僕は酒が弱いので身体が持ちません。。36時間以上かかって、寝台列車も使わないと到達できず、陸の孤島でした。