相馬市・南相馬市の状況


4/8-10 福島県相馬市の老健施設の手伝いに行ってた医師からのレポート。

 



同施設に3月末に行かれた先生から、物資は足りてきているとのお話を伺っていました。
実際に行く前に施設に連絡をとってみると、
ほとんどのものは足りているが、
入所者のおやつや、乳製品は入手困難とのことで、
リクエストのあった饅頭と牛乳を積載して自家用車で行きました。
この差し入れは大変喜ばれました。
ただし、施設内の倉庫には遠方から送られてきた支援物資が
お中元のごとく山積みにされており、
帰りには「持って行ってくれ」と、キャベツ1箱、ジャガイモ1箱、もやし大袋2袋のお土産でトランクがいっぱいになるという妙な状況になりました。

人手に関しても、施設長の山口医師は震災以降土日も休まず顔を出すという状態だったようですが、
私が行った丁度その週末から、平常通り相馬中央病院という連携施設からの医師の派遣が再開しており、私がいなくても山口先生は休みがとれることになっていました。

入所者の方々はもともといらっしゃる方が大半でしたが、震災で家を無くしてしまった方もおられました。
丁度私が行ったその夜に大きな余震があり、驚いて転倒された方もいたようです。
みなさん余震の恐怖を口にされていました。

相馬市長にお会いし、
震災直後から現在までの状況を伺いました。
市長の踏ん張りにより、市内の人的物的資源は充足していることがよくわかりました。
逆に原発20km・30km圏内を含む南相馬市の医療状況は危機的状況であるとのこと。

南相馬にこそ支援の手が必要であると考え、
現地の声を聴くべく、原発25km圏内の原町地区に位置し、
相馬市市長が理事長を務める大町病院へ向かいました。
大町病院院長の話によれば
原発事故による30km圏内自主避難指示が出された直後、
看護師、薬剤師ほかコメディカルが大挙して圏外避難してしまったため、入院機能を維持できず、
入院患者の退院・転院を余儀なくされたとのことでした。
その後、自身の出身大学からのスタッフの派遣や知り合いMRや卸の努力により、
なんとか外来診療再開可能な状態にこぎつけたものの、
避難地域拡大などの噂もあり今後の見通しは全く分からない。
週単位で方針を決めながら手さぐりでやっているとのこと。

今一番ほしいのは、人でもモノでもなく、情報。
行政からの直接の情報提供がないために、
同圏内の放射線線量や、基幹病院、開業医院の診療状況はNHKのテロップで知るレベル、
近くの避難所についても要請がないので全く関知していない。
地域で緊急入院・手術が必要な患者が発生した場合、
行政からの「3日を限度に5人まで入院を受け入れてよい」というわけのわからないお達しだけは聞いていると、
終始憤りを隠せないような表情でした。

3月10日私が帰京した時点では、
復旧を支援するにあたりまずは南相馬における医療状況の全体像の把握を、 と思っていましたが、
3月11日、原町を含む30km圏内の一部が「計画避難区域」に指定されてしまったので、
もはや復旧よりも避難のための支援が必要なのかもしれません。
具体的にそれがどういう内容か、
いずれにせよ現地の情報の収集が必要と思われます。