診療関連死に関する厚労省第二次試案・自民党案を読み解く

東京大学医科学研究所探索医療ヒューマンネットワークシステム
上 昌広

 2006年2月の福島県立大野病院産科医師逮捕事件を契機に、刑事と医療のあり方について国民的議論が巻き起こっている。厚労省は2007年3月から「診療行為に関連した死亡に係る死因究明等の在り方に関する検討会」(以後、厚労省検討会)を立ち上げた。この検討会の経緯について解説し、その問題点を議論したい。

医療が刑事処分の対象となった経緯
 まず、医療が刑事処分の対象となった経緯について紹介したい。終戦後、新生日本の体制整備の一環として厚生行政に関する法体系も整備された。その中で、1949年、旧厚生省医務局長が医療は警察への届け出対象ではないと通知し、医療者・司法関係者の共通認識となった。一方、1994年、法医学会が異状死に関するガイドラインを作成し、診療関連死を異状死に含めるべきと主張した。このガイドラインが作成された経緯については様々な噂があり、正確な事情は分からないが、このガイドラインは一団体の主張に過ぎず、医療現場や司法関係者への影響は殆ど無かった。この流れが変わったのは1999年の横浜市大、都立広尾病院などの医療事故、およびその後のメディア報道の増加であった。そもそも、行政府はメディアに影響されるものだが、このような報道を受け旧厚生省は2000年に国立病院マニュアルと死亡診断書記入マニュアルの中に診療関連死を異状死に含めると記載し、医師法21条を拡大解釈した。この結果、2000年以降、病院からの警察への届け出が急増し(前年比400%)、警察の立件数も増えた(前年比240%)。この件について、飯田英男・元検事、太田裕之 警察庁刑事企画課長は厚労省検討会にて、刑事立件が増えたのは病院からの届け出が増えたからに過ぎないと説明している。その後、2004年に都立広尾病院事件の最高裁判決が出て、病院長は医師法21条違反、虚偽公文書作成罪で有罪となり、診療関連死が異状死に含まれることが法的に確定した。このように、医療への刑事介入の引き金は厚労省のマニュアル変更である。注意していただきたいのは、厚労省のマニュアル変更は法改正とは異なり国会のチェックを受けないことである。医療者は医療への刑事介入を議論する際に、法医学会ガイドラインの果たした役割に注目しがちであるが、むしろ、この問題は厚労省の裁量行政の後遺症と考えるべきで、我が国の医療行政でのチェックシステムの不備を示している。厚生官僚のミスをチェックできなかった点で、与党議員・メディア、更に医療関係者の責任は重い。

厚労省検討会・自民党医療部会の経緯
 次に、厚労省検討会・自民党医療部会の経緯について説明したい。福島県立大野病院事件以降、医療関係者は政府・与党に警察が医療現場に介入しないこと、医師法21条の改正、および医療事故調の設立を強く要望した。このような要求をうけ、2007年3月、厚労省は医療紛争処理に関するパブリックコメントの募集を開始し、4月から8月まで合計7回の検討会を開催した。この時点では、厚労官僚の行動は医療現場を何とかしたいという純粋な善意に基づくものであったろう。この検討会の議論についての詳細はロハスメディカルブログ(http://www.lohasmedical.jp/blog/)をご参照いただきたい。プロの記者がブログで厚労省検討会に関する詳細な情報を提供したのはおそらく初めてであり、厚労省にはプレッシャーとなったことは想像に難くない。この検討会で特徴的だったのは、厚労省が座長に刑法学者である前田雅英教授(首都大学東京)を選んだことである。厚労省の関心が医療事故の真相究明より、刑事手続きにあったことが伺える。また、読売新聞関係者も検討会委員に入っており、12月6日の同紙社説へと繋がっていったのだろう。言い古されたことだが、メディアと権力の立ち位置はむずかしい。次に特徴的だったのは、検討会の中で委員からは様々な意見が続出し、とりまとめが困難だったことである。たとえば、2007年8月の検討会による中間とりまとめでは懸案事項に関しては両論併記のスタイルをとっている。このように医療紛争処理に関しては医療関係者の間でも意見が割れ、議論を尽くすには時間が足りないことは明らかであった。

厚労省第二次試案が医療現場の大反発を引き起こした
 この医療事故調問題が医療者の大きな関心を引くのは、10月17日に厚労省が第二次試案を発表し、第2回のパブリックコメントを募集してからである。第二次試案では前述の中間とりまとめで両論併記された部分は、医療現場の厳罰化・統制をもたらす制度が採用されている。おそらく厚労官僚は、医療は国家が統制すべきだという信念をもっているのであろう。この第二次試案の骨子は、医療現場で診療関連死が発生した場合、医療機関は医療事故調に届け出をすることが義務化され、怠った場合には罰則を課すこと、および医療事故調での調査の結果、故意・重過失と判断された場合には警察に連絡し、また不適切な行為に関しては行政処分を課すことであった。この試案については、全国から反対意見が続出し、多くの意見がパブリックコメントとして厚労省に届けられた。この内容はウェブで公開されており、福岡県医師会や寺野 彰獨協大学学長の意見は是非、お読みいただきたい。このような意見を要約すると、1)厚労省内に医療事故調を設立し厚労省が調査権と処分権を併せ持つことは、「医療の正しさ」を厚労省が判断する国家統制を招き、医療の発展を阻害する、2)事故調査の領域では調査結果を不利益処分に用いないことは国際的常識であり、処分と連動した場合には現場での隠匿、相互不信、ひいては萎縮医療を助長する、3)医療事故の真相究明は純粋に科学的問題であり、被害者感情のケア、法的判断とは独立して行うべきである、4)一度出来てしまった組織は当初の設立理念ではなく自己保存の論理が運用基盤となる。医療事故調に過失に関する法的判断を委ねれば、どうしてもグレーゾーンのケースを扱わざるを得なくなる。この場合、厚労官僚は自らの責任回避のため、過失の可能性がある案件は警察へ通報し、一方、警察官僚は自らの責任を回避するため、医療事故調という権威から送られた案件を立件せざるを得ない。この結果、医療事故調での調査は不適切な刑事介入を誘導する、5)厚労省は2006年の医師法改正(第7条)で既に医療現場への立ち入り検査権限を獲得しており、第二次試案通りに医療事故調が設立されれば、行政処分のための「医療警察」として機能する可能性があるというものであった。

自民党・日医は厚労省第二次試案を無批判に受け入れた
 自民党は11月1日、医療紛争処理の在り方検討会(座長 大村秀章衆議院議員)を開催した。その中で、座長である大村秀章議員は医療紛争処理案の作成を厚労省・総務省・警察庁に委ねる旨を発言し、日本医師会代表の竹島康弘副会長、検討会委員で診療行為に関連した死亡の調査分析モデル事業中央事務局長の山口 徹 虎の門病院院長などは厚労省第二次試案の趣旨に賛同し協力を表明した。このニュースは業界メディアで報道され、多くの医療関係者の不興を買った。特に、虎の門病院の小松秀樹医師は11月17日に長崎県で開催された第107回九州医師会医学会の特別講演で厚労省第二次試案の制度設計の問題点を指摘し、試案に賛成した日本医師会執行部を強く非難した。当日、会場では大きな拍手が沸き起こったようである。小松医師の主張は「日本医師会の大罪」「日本医師会の法リテラシー」としてインターネット上で公開されている(http://mric.tanaka.md/)。このような小松氏の意見は幾つかの医療メディアで配信され、多くの医療関係者が関心を持つようになった。この結果、医療事故調の問題は、各地の医師会、病院会、学会、インターネット上(http://ameblo.jp/kempou38/entry-10057470455.html)で議論されるようになり、彼らを通じて地元の国会議員、業界団体幹部、メディアに情報が伝えられた。

自民党は厚労省の暴走をくい止められるか
自民党は11/30に医療紛争処理のあり方検討会を開き、とりまとめ案を提示した。自民党案は厚労省第二次試案と基本的に同じであるが、医療現場の反発を受けマイルドな表現になっている。たとえば、医療事故調査委員会は国の組織(第二次試案 厚労省)、委員会の届け出を制度化する(第二次試案 義務化)、行政処分は委員会の調査報告書を参考に医道審議会が行う(第二次試案 行政処分に用いる)と表現されている。ちなみに、西島英利 参議院議員はソネットエムスリー橋本佳子氏によるインタビューで医療事故調の自民党案と厚労省案は別と発言している。医療現場の意見に柔軟に対応した自民党議員の努力には敬意を払うが、公開された資料を読む限り、自民党案は玉虫色で複数の解釈が可能であり、医療者の懸念は払拭されていない。自民党が政権政党として、厚労省を如何にコントロールするか、今後の活動を注意深く見守りたい。

舛添大臣、民主党、内科・外科学会の反応は?
医療事故調に関しては、厚労省、自民党以外でも活発に議論されている。たとえば、11月16日の参議院厚労委員会では、社民党 阿部知子参議院議員の質問に対して舛添要一厚労大臣が「厚労省が試案として出しているものが完全とは思っていません」「行政がかかわった調査報告書が裁判過程に使われることに対する懸念は現場から聞いています。これをどうするか。ADR(裁判外紛争処理)の位置づけというものをもう少し工夫すべきではないか」と回答している。また、12月4日の参議院厚労委員会では民主党の足立信也参議院議員が「死因究明は双方の納得のために行われるべきものであり、対話こそが大切である」「平成16年医師の職業倫理指針にもあるように、調査結果報告書は不利益処分に使用されないように決めて欲しい」と発言している。彼らの発言を聞く限り、厚労省事務方と舛添大臣の間には見解の相違があるようで、また、民主党の医療関係議員は厚労省第二次試案に賛同していないようである。一方、日本医師会 木下勝之常任理事、日本内科学会 永井良三理事長、山口 徹 診療行為に関連した死亡の調査分析モデル事業中央事務局長、日本外科学会 兼松隆之会長、高本眞一 医療安全管理委員会委員長らは、日医NEWS12.5号や学会ホームページにて関係者に情報を提供している。この内容を読む限り、彼らは厚労省第二次試案を支持し、関係者に理解を求めている。彼らは、厚労省検討会の場で医療現場が厚労省第二次試案に反発するのは自分たちの説明不足であると発言しているが、この主張には同意できない。医療現場は真相究明の美名の下に医療の国家統制が行われ、我が国の医療が崩壊することを危惧しているのである。このような発言は、厚労省検討会の委員であったという立場が関係するのかもしれないが、この問題は結論を急がず、医療関係者・社会に十分に情報提供し、議論を繰り返した方がいいのではないだろうか。手前味噌であるが、私が参加している現場からの医療改革推進協議会は独自の医療紛争処理案を作成しインターネットで公開している(http://expres.umin.jp/genba/comment.html)。議論のきっかけとなれば幸いである。

既に臨床現場は萎縮し、副作用や合併症の隠匿が始まっている
最後に、医療と刑事の関係について面白いデータを紹介しよう。最近、友人や先輩から副作用に関する症例報告は出せなくなったという声を聞くことが多い。筆者達は医学中央雑誌オンライン版を用いて実態を調査した( 080310_01.doc)。驚くべき結果で、2007年の中頃から副作用報告・合併症報告は激減しているのである。臨床現場は既に萎縮しており、副作用や有害事象は隠匿されるようになっているのである。皆さん、この結果をどのようにお考えだろうか。