JMM 『絶望の中の希望~現場からの医療改革レポート』 10

                        2008年7月30日発行
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
JMM [Japan Mail Media]       No.490 Extra-Edition4
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
                  http://ryumurakami.jmm.co.jp/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
●JMMでは医療に関する読者投稿を常時受けつけています(JMMサイトにて)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

▼INDEX▼

 ■ 『絶望の中の希望~現場からの医療改革レポート』 上 昌広 

      第10回 医師の偏在~徳島県をモデルケースとして~


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ■ 『絶望の中の希望~現場からの医療改革レポート』        第10回
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「医師の偏在~徳島県をモデルケースとして~」

「日本の医師不足」と題して4回にわたりその現状分析と私達の提案を配信させて頂きました。今回からは、医師不足と同時に議論される「医師の偏在」についてご紹介させていただきたいと思っています。

 医師偏在に関する議論は、地域的偏在と診療科間の偏在に分けることができますが、まず、当教室で調査した徳島県での研究を紹介しながら地域的偏在について考えてみます。

■ 高度医療に地域格差が存在する

 徳島での研究を紹介する前に、高度医療の実施状況に全国的な地域格差がないかどうかを調査した研究がありますので簡単に触れておきます。

 帝京大学市原病院の三浦裕司先生を中心とした研究グループは、急性白血病などの治療で行われる造血幹細胞移植、つまり白血球や赤血球、血小板といった血液中の細胞の大元になる細胞を入れ替える治療法に注目しました。この移植治療の実施には高度な専門性が必要であり、このような移植治療は高度医療の実態を知るのに適切です。

 彼らの研究によると、移植実施率(脚注1)に大きな地域間格差が存在しました。地方別にみると、東北地方の31%から北陸地方の65%まで2.1倍の差があり、全体として西高東低でした。このような差はどうして生まれたのでしょうか。さらに分析を進めますと、県民所得というような金銭の問題でなく、医師数や専門施設数が影響している事が分かりました。また、各都道府県に医学部が設立された時期とも強い関係がありました。

■ 医師数の地域的偏在が大きい徳島県

 このような移植治療に関する研究から、高度医療には地域的偏在があり、それぞれの地域の実情に合わせて議論する必要があることが分かります。では、都道府県内の実態はどうでしょうか。当教室の大学院生の瀧田盛仁は、徳島県をモデルケースとして実態調査を行いました。

 徳島県は、人口減少と少子高齢化が進行する人口約80万人(全国第44位)の小さな県です。毎年8月に行われる阿波踊りは全国的に有名です。また、県の中央に剣山(標高1955メートル)があり、東西に吉野川が流れ、自然が豊かな場所です。

 このように徳島県は典型的な地方圏の特徴を持ち合わせていますが、意外にも単位人口当たりの医師数が全国第2位(人口10万に当たり270.1人、平成18年厚生労働省調査)で、医師の多い県なのです。一方で、単位人口当たりの無医地区人口が全国第6位(人口1000人当たり4.1人、平成16年同調査)で、医師が存在しない地域が多いのも事実です。つまり、医師数が多いのにも関わらず、無医地区も多いという事実は相反しているように思えますが、これは医師数の地域的偏在が強いことを示しています。

■ 徳島県の患者分布:高度医療は地域内でほぼ完結している

 私達はまず、血液悪性疾患(脚注2)について、標準的な治療を受けることが出来
る病院を受診した患者数と推定患者数を比較しました。

 この調査結果から、三好地域(西部地域)を除く全ての地域で、推定数と調査数がほぼ一致しました。このことは、高度医療が地域内でほぼ完結していることを示しています。研究を始める前には、私たちは、僻地に住む患者の中には高度医療を受けていない人がいるのではないか、或いは、徳島県からのアクセスが容易な神戸や大阪に患者が流出しているのではないかと考えていましたが、調査結果は私達の予測に反するものでした。

 なお、三好地域は、四国の中央に位置し古くから交通の要衝として栄えていました。住民の行動圏や流通は県境を超えており、患者さんの多くは隣県の香川県に流れていると予測されます。

 次に、調査病院毎に患者居住地の分布を検討しました。全ての調査病院で、患者の70%以上が病院所在地から半径約25km以内に住んでいることが明らかになりました。当然ですが、患者さんは自宅の近所の病院に通院しているわけです。しかし、更に詳細な検討をすると、患者分布の特徴が病院毎に異なることが分かりました。例えば、県立中央病院の患者分布は徳島市を中心に吉野川沿いに広がっていますが、徳島赤十字病院では南部地域を含んだ広がりがあることが分かりました。これについては後半で考察を加えていますが、地形や道路状況、地域文化などが影響を与えているようです。ここでもやはり、地域の実情を十分に考慮した上で診療体制を築くことが重要であることを認識しました。

■ 医師分布は都市部に集中している

 では、高度医療を支える医師の分布はどのようになっているのでしょうか。私達は、血液内科医の人数、常勤勤務地及び非常勤勤務地を調査しました(脚注3)。それによれば、徳島県内の血液内科医数は23人であり、1ヶ月間の医師一人当たり新規患者数は1.0人で、ほぼ充足していると考えられます。しかし、全血液内科医に対する徳島市内に勤務する医師の割合は73%であるのに対し、全推定患者数に占める徳島市内患者数の割合は26%に過ぎません。つまり、医師の勤務分布は都市部に集中していることが明らかです。

 また、非常勤勤務先についても、非常勤勤務を有する血液内科医15人のうち、14人が徳島市或いは徳島市周辺でした。南部地域では、唯一、県立病院院長である永井先生お一人だけが週1回診察されているのが実態でした。

 私達は、医師の常勤勤務地に地域的偏在があることは予測していましたが、この偏在を補う役割として、医師の非常勤勤務は有用な手段であると考えていました。しかし、調査結果は、私達の予想を覆すものでした。つまり遠隔地では、内科診療ですら崩壊し、患者の多くが遠距離を通院している様子が浮き彫りになったのです。

■ 過疎地の医師密度は極めて低い

 これまで血液内科医を中心に話を進めてきましたが、ここでは全医師に対象を広げ、その分布を検討してみます。私達は地域毎に、単位人口当たり医師数と単位面積当たり医師数を比較しました。単位面積当たり医師数は言わば、「医師密度」と表現できますが、これに関して論じられることは少ないように思います。

 県庁所在地である徳島市を含む医療圏では単位人口当たり医師数は301人、単位面積当たり医師数は205人でした。一方、過疎化が進行している三好地域では単位人口当たり医師数は192人、単位面積当たり医師数は11人でした。医師数を比較するのに単位人口当たりで計算する場合と単位面積当たりで計算する場合では大きく結果が異なります。都会と僻地を比較した場合、人口あたりの医師数以上に面積あたりの医師数に大きな乖離を認めました。もし、面積あたりの医師数が少ないことが、地域住民が医師不足を実感する原因であるとすれば、僻地に医師を強制的に派遣しても何の問題解決にもなりません。

■ 現地でのフィールドワーク: 数字では現れない実態が明らかに

 さらに詳細な検討を行うため、私達は実際に徳島県を訪問し、地元医師会や大学関係者、行政担当者にインタビューを実施しました。今振り返ると、このような質的な研究が私達に様々な重要な示唆を与えてくれていることを感じます。

■ 同じ僻地であっても背景の異なる三好(西部)地域と南部地域

 三好地域の拠点病院では3次救急救命センターや外来化学療法室を整備するなど病院整備が進行していました。一方、南部地域の拠点病院では、常勤医師の退職が相継ぎ、何とか非常勤医師が診療を維持している状況でした。では、なぜこのような違いが生まれたのでしょうか。
 私達は地元の医療関係者に徹底したインタビューを行いました。その結果、地元の医療関係者から地域の特徴が関与している旨の意見がありました。

 三好地域は山間部にひろがる農村地帯で、縄文時代の遺跡や数々の歴史書にも名が記載されており、古い文化を有します。南北朝時代に政権を掌握した三好長慶もこの三好の出身で、甲子園で活躍(優勝3回、準優勝2回)した県立池田高校があるのもここ三好です。2000年3月には、三好地域から徳島市に抜ける徳島自動車道が全線開通しました。また、この地域の住民は地元志向であり、この傾向は平成7年国勢調査の「買物行動」でも裏付けられます。

 ところで、三好地域の拠点病院に常勤する医師の多くは、徳島市から片道70kmの道のりを通勤しているそうです。医師らはなぜ、これほどの長距離通勤をしているのでしょうか。もちろん、高速道路が開通し交通が便利になったことも関係していますが、それよりも重要な理由があるのです。それは、医師にも家族が存在し、生活や子育ての希望があるということです。家族のことを考えると、生活の基盤を都市部に置きたいと考える医師が多いのです。三好地区は高速道路の整備によって、都会からの医師の供給が可能になり病院が維持されていることがわかります。

 一方、南部地域は、急峻な四国山地が太平洋に迫る地形で、主要な産業は漁業です。都市部へ通じる高速道路はなく、一般道も狭小な悪路が続きます。前述の中央病院院長の永井先生は片道71kmに及ぶ長距離を一人で自家用車を運転されて通勤されているとのことでした。三好地区と比較して、地域コミュニティー自体が崩壊しつつあると感じました。実際に、地元開業医とのヒアリングでも大病院志向が強い傾向にあることが分かりました。

 このように、数字では同じような医療過疎地域であっても、住民の行動や医療提供の質に違いがあり、従ってこれらの事実は、一律に医療過疎や医師の偏在を議論することに意味がないことを示しています。

■ 都市部にも課題がある

 相対的に医師数が多い徳島市内においても医療提供体制に課題があるようです。それを象徴しているのが、県立中央病院と大学病院が隣接して立地していることです。つまり、徳島市内への診療の集約化は進んでいますが、特定の地域に、機能が重複する公的病院が複数存在しているのです。そのうち2つの病院は新病院建替えのため建設計画が立案、或いは建設中の状態で、1つは平成18年5月に新病院での業務が開始されたばかりでした。このように医療設備の整備は進行していますが、病院間の連携は必ずしも円滑ではありません。前述の永井院長をはじめ、関係者は懸命の努力をされているようですが、長い歴史的経緯もあり、問題の解決は容易ではないようです。この解決のためには法整備や行政レベルの垣根を越えた運用、企画・調整力のある人材の育成が急務であると考えます。

■ まとめ: 医師の偏在を解決するには個別の分析が必要で、一般解はない

 このように私達は移植治療に関する全国調査を皮切りに、医師偏在に関して徳島県をモデルケースとして調査を進めました。現在、同様な調査を他の都道府県においても実施しています。これらの調査結果は、地域の実情を十分に吟味した上で医療提供体制の整備を図る必要があることを示しています。私達は現状の医療危機を打開するために医師の絶対数の増加が必要と考えていますが、同時に、医療過疎や医師の偏在を全国一律に議論するのではなく、個別具体的に検討する必要があると考えています。

 課題を多く指摘してきましたが明るいニュースもあります。徳島県は南部地域の医療状況を改善するために、平成19年10月、地域医療学講座を徳島大学に開設しました。医師確保のために給与保障を強化する地方自治体が多いですが、徳島県の取り組みは医師としてのキャリアパスを支援している点で独自性があり、今後の展開に大いに期待したいところです。

(脚注1)移植実施率:一般に公開されている情報 (統計省統計局ホームページ、財団法人がん研究振興財団発行の「がんの統計」、日本造血細胞移植学会ホームページより「全国調査報告書」)を使用し、2000-2004年の都道府県別、地域別の60歳未満の急性白血病発症数を推定し、それに対する年間の同種移植実施数の割合を「移植実施率」と定義しました。
(脚注2) 血液悪性疾患:白血球や赤血球、血小板といった血液中に存在する細胞が
「がん化」した病気の総称で、急性白血病や悪性リンパ腫、多発性骨髄腫がそれに当たります。
(脚注3) 医師数の調査結果は、平成18年10月時点での数値です。

----------------------------------------------------------------------------
上 昌広(かみ・まさひろ)
東京大学医科学研究所 探索医療ヒューマンネットワークシステム部門:客員准教授
Home Page:<http://expres.umin.jp/>
帝京大学医療情報システム研究センター:客員教授
「現場からの医療改革推進協議会」
<http://plaza.umin.ac.jp/~expres/mission/genba.html>
「周産期医療の崩壊をくい止める会」
<http://perinate.umin.jp/>
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
JMM [Japan Mail Media]       No.490 Extra-Edition4
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【発行】  有限会社 村上龍事務所
【編集】  村上龍
【発行部数】128,653部
【WEB】   <http://ryumurakami.jmm.co.jp/>
----------------------------------------------------------------------------
【ご投稿・ご意見】上記JMMサイトの投稿フォームよりお送り下さい。
【配信解除】以下のメールアドレス宛に空のメールを送信してください。
      <remove_jmm@griot-mag.jp>
【メールアドレス変更】「配信解除」後、改めて新規アドレスで再登録して下さい。
※原則として、JMMオフィスでは解除・アドレス変更手続きは代行いたしません。
----------------------------------------------------------------------------
編集長からの質問への回答など、読者の皆さんから寄せられたメールは、事前の告知なくJMMに掲載させていただく場合がございます。匿名などのご希望があれば、明記してください。また、掲載を望まれない場合も、その旨、明記願います。メールに記載された範囲でのプライバシーの公開から生じる、いかなる事態、また何人に対しても一切責任を負いませんのでご了承ください
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  Copyright(C)1999-2008 Japan Mail Media 許可無く転載することを禁じます。