JMM『絶望の中の希望~現場からの医療改革レポート』 5

村上 龍氏主催のJMMというメールマガジンで拙文を配信していただいています。許可を頂いて転載いたします。

                  2008年5月21日発行
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JMM [Japan Mail Media]  No.480 Extra-Edition2
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 ■ 『絶望の中の希望~現場からの医療改革レポート』 上 昌広 

       第5回 日本の医師不足~第一回 医師養成の歴史

 

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「日本の医師不足~第一回 医師養成の歴史」

 前回は看護師・薬剤師不足についてご紹介させていただきました。その原因は、看護師と薬剤師で異なっており、日本のキャリアウーマンが抱える問題を代表していることがご理解いただけたかと思います。これから数回にわたり医師不足問題について議論させていただきたいと考えています。まず、今回は我が国の医師の養成システムの歴史的な経緯をご紹介させていただきます。

■医師供給数は医学部定員数によりコントロールされている

 我が国で医師になるためには大学医学部を卒業し、医師国家試験に合格しなければなりません。現在、我が国には80の大学医学部が存在し、毎年約8000人の卒業生を世間に送り出しています。このうち、約90%の学生が医師国家試験に合格し、医師としての活動を始めます。このように医師の供給は、医学部の定員と国家試験の合格率という二つの方法で国家によりコントロールされています。

 このうち、医師の供給数に直接的に影響するのは医学部の定員数です。医師国家試験合格率は長年90%程度で横ばいであり、医師数の供給には実質的に影響していません。この特異性は他学部の卒業生と比較すれば、理解しやすくなります。例えば、法学部の卒業生は全てが法曹界に進むわけではなく、法曹界の人材供給量をコントロールしているのは、法学部の定員数ではなく、司法試験や国家公務員試験の合格率です。司法試験に合格することは極めて難しく、このような難関を課すことで、司法界の人材のレベルを維持してきたと考えられます。

■医師国家試験の合格率により医師数をコントロールすることは可能か?

 もし、医学部の定員を増やし、医師国家試験の合格率を下げれば、どのようなことが起るでしょうか。医学部学生の養成コストは他学部よりも高いと言われており、このような政策を実行する社会的コストは極めて高いと思いますが、仮定の話として議論してきましょう。

 医学部の定員を増やし、国家試験の合格率を下げれば、医学部を卒業しても、医師にならない(なれない?)人が増えます。「医師浪人」も出てくるでしょうが、多くの人は医学部を卒業して、医師以外の職業を選択せざるを得ないでしょう。このような人たちは、社会にどのような影響を与えるでしょうか。

 多くの人々は医学部卒業=医師と考えていますが、現在でも医学部の卒業生の進路は結構、多岐にわたります。例えば、製薬企業に努める人や研究者は多数いますし、弁護士、コンサルタント、作家、国会議員などもいます。実は、医学の素養をもった社会人が医療以外の分野で活躍することは、我が国全体にとっては、良い面も多数あるのです。このような人たちが増えれば、日本の製薬企業や医療機器メーカーの国際競争力が高まる可能性もあり得ますし、医療界と司法界の架け橋になるかもしれません。医学部の定員を増やせば、失業する医師が出てくる可能性もありますが、逆に、これまで医学専門家がいなかった分野に進出することになるかもしれないのです。この可能性は、これまであまり議論されてきませんでした。

 現在、医師数のコントロールには二つの方法があり、それをどのように組み合わせるかは、国民が柔軟に決めるべきですが、我が国では、伝統的に医師の供給を医学部に定員数だけに依存してきました。つまり、医学部の設置数=医師数という時代が長年続いた訳です。医学部とは何か、国家試験とは何かという問題をじっくり考え直してもいい時期に来ているのではないでしょうか。

■医学部設立の歴史

 では、我が国で医学部はどのような経緯で作られてきたのでしょうか。実は、国家が医師の養成をコントロールするようになったのは、そんなに古い話ではありません。明治初期までは、医師養成には多様な過程がありました。例えば、江戸時代の漢方医や蘭方医には国家資格はなく、職人の世界の師弟関係と同じ方法で医師が養成されました。明治になって医師国家試験の制度が創立されても、その初期には野口英世博士のように大学に通わず、開業医の元で住み込んで修業し、医師試験を受けて医師資格をとったものも存在しました。このような制度の下では大量の医師の養成は難しく、また、医師の品質管理も困難でした。明治政府は富国強兵を目的として大学医学部を卒業し、医師の大量養成に踏み切りました。この過程で、医師養成が国家の管理下に置かれるようになりました。

 明治維新以降、大学医学部が設置されたのは、明治、大正10年頃、昭和20年頃、昭和50年頃です。まず、明治期には東大、京大、東北大、九州大に帝国大学医学部が設置されます。ついで、大正10年に大学令が改正され、明治36年に設立された9つの医学専門学校(旧制9医科大学)が大学医学部へと昇格します。また、同時期に北海道大学、慶応大学、東京慈恵会医科大学、日本医科大学に医学部が創設されます。この時点で、大学医学部数は17になります。その後、第二次世界大戦中に8つの旧制医科専門学校が設立され、戦後、医科大学に昇格します。また、戦中、戦後を通じ、11の国公立医科大学、10の私立医科大学が創設されます。この時点で、大学医学部は46になります。最後は、一県一医大構想に基づき、昭和45-54年にかけて18の国公立大学医学部、16の私立大学医学部が創設され、医学部数は現在の80になります。

■医師不足は我が国の近代史の鏡である

 このような医学部創設の歴史を振り返れば、様々な問題点が見えてきます。まず、医療は戦争と密接な連携があることがわかります。明治、大正10年頃、昭和20年頃の医学部増設時期は、いずれも戦争、あるいは軍備増強の時期です。戦争と医療の密接な関連については、我が国だけでなく、世界の全ての国に当てはまる現象です。近代戦争が外科学と細菌学の進歩に貢献したことは有名ですし、ベトナム戦争はヘリ搬送、湾岸戦争は兵士の外傷後ストレス性精神障害(PTSD)、イラク戦争は医療機器・チーム搬送の研究の発展のきっかけとなりました。

 ちなみに、厚生省の前身には陸軍省が含まれます。東京の戸山にある国立国際医療センターは旧陸軍病院ですし、築地の国立がんセンターは旧海軍兵学校、旧海軍病院です。都内の便利なところに、広い敷地をもつ病院の前身は軍隊と関係があるというのは、近代医学のあり方について示唆に富みます。

 ついで、大正時代まで創立された大学が、西日本に偏っていることが挙げられます。この時期に創設された全17大学は、金沢・名古屋以西に9つ,東京に4つ存在し、残りは北海道、東北、千葉、新潟に一つずつです。九州には福岡、長崎、熊本県に一つずつ設置したこととは対照的です。地域の医師数は、地元の大学医学部の卒業生数と密接に関係しますから、東北、関東が医師不足になるのは明治以来の政策の結果なのでしょう。現に我が国の人口あたりの医師数は西高東低で、もっとも医師が足りない県は千葉、埼玉など関東に存在します。このような偏りが生じたことに、薩長が明治政府を打ち立て、西日本に重点的に教育投資を行ったことと無関係ではないでしょう。筆者は、江戸時代の先進藩であった会津に大学医学部が設置されなかったことは、単なる偶然ではないと考えています。

 第三に医学部数は約30年ごとに倍増しています。30年というのは一人の医師が、在職中に一度は医学部の教官数が倍増するのを経験してきたことを意味します。このため、我が国の医師の人事制度は右肩上がりの成長を前提として形作られました。具体的に言うと、帝大や慶應大学など中核大学の卒業生は、若いうちから地方病院や大学の主要ポジションを歴任し、40代で新設医大の教授に就任し、その場で成功したものが母校の大学の教授に戻るような「競争システム」ができあがったのです。これは、旧大蔵省のキャリア官僚が、若いうちから税務署長になるような慣行と類似しています。この制度は様々な評価がなされていますが、エリートが若いうちに地方をまわり、様々な現場の問題に接するため、地方での人脈や現場感覚を身につけることが出来たことも事実です。ところが、このような人事制度は、今や医学界では行われていません。それは、世間の非難があったからではなく、医学部が新設されなくなったからです。医学部は「低成長時代」の管理職養成制度の確立に試行錯誤しています。現在、一県一医大制度が提唱されてから、約30年がたちます。この時期に医師不足が社会的問題になっていることは、何か運命的なものを感じます。

 次回、日本の医師不足の実情について、紹介させていただきます。

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上 昌広(かみ・まさひろ)
東京大学医科学研究所 探索医療ヒューマンネットワークシステム部門:客員准教授
Home Page:<http://expres.umin.jp/>
帝京大学医療情報システム研究センター:客員教授
「現場からの医療改革推進協議会」
<http://plaza.umin.ac.jp/~expres/mission/genba.html>
「周産期医療の崩壊をくい止める会」
<http://perinate.umin.jp/>
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