日本産科婦人科学会が、「医療事故に関わる諸問題検討ワーキンググループ」(委員長 岡井崇)における検討及び理事会の協議を経て、平成20年2月29日付けにて厚生労働省医療安全推進室に「診療行為に関連した死亡に係る死因究明等の在り方に関する本会の見解と要望」を提出しました。
下記でダウンロードできます。
http://www.jsog.or.jp/news/pdf/kenkai-youbou_kourousyou29FEB08.pdf
本文を転載します。一読の価値ありです。ぜひお読みください。
厚生労働省医政局総務課医療安全推進室御中日本産科婦人科学会
理事長 吉村 泰典「診療行為に関連した死亡に係る死因究明等の在り方」に関する
見解と要望日本産科婦人科学会は、いわゆる"医療事故"に関わる機会の多い診療領域を担う専門医集団として、現在貴省で検討されている「診療行為に関連した死亡究明等の在り方」並びに「"診療関連死"の届け出の制度化」に関しての会員の意見を本書簡にまとめましたので、内容を熟慮した上で上記制度化に反映させて頂くことを要望します。
本会は、貴省がこれまで整備の遅れていた医療事故の原因究明と再発防止のための国家的制度の構築に着手されたことを基本的に歓迎するところであります。しかしながら、平成19年11月に貴省から公表された「第二次試案」及び責任与党である自由民主党の"医療紛争処理の在り方検討会"より発表された「診療行為に係る死因究明制度等について(案)」、また"あり方検討委員会"のその後の議論には、実地医療現場の実状と、過酷な勤務環境の下で日夜誠心の診療を実践している医療提供者の心情への認識に不充分な点がみられるため、その点の理解を深めて頂くと共に、下記の要望事項を真摯にご検討下さることをお願いする次第であります。
<要望事項>
I. "医療事故調査委員会"と刑事手続きとの関係について
診療関連死原因究明のための調査委員会の設立に際しては、「"医療事故調査委員会"の報告書を刑事手続きに利用することを原則認めない。但し、故意、悪意、また、患者の利益に即さない目的で行われた医療等に起因する事故についてはこの限りでない。」の一文を委員会規定の中に成文化することを要望する。元来、医療事故調査委員会は、当該事故の原因究明を目的とした専門的第三者機関として存在すべきであり、純医学的な解析の上に実地医療の視点からの考察を加えて事例を検証し調査するもので、事故に関わった医療提供者個人の責任を追求する任を持するものではない。にもかかわらず、調査報告書を、"重大な過失"の疑いを根拠に特定個人の刑事責任追求のための手続きに利用することが容認されれば、以下の弊害の発生することが強く懸念されるからである。
1) 刑事訴追、或いは警察の捜査の対象とされる可能性が多くの事例に生じる。地球上のどの地域においても、現場で実施されている医療は一般に最善から掛け離れた水準にある。従って、調査されたほとんどすべての事例において、程度の差こそあれ、改善されるべき医療行為や臨床判断などが存在することは間違いなく、その点をも含めた事実経過を明らかにすることこそが目的の調査委員会は、医療の爾後の向上に資するためにもその事実を報告書に記すべきである。報告書に記載された改善すべき事項は、医療の現場で常に後悔と反省を繰り返しつつ診療に携わっている医療提供者には、特殊な例を除いて、誰にでもまた何時でも起り得る事柄と理解でき、多くの臨床医にとって自らを戒める他山の石とすべきものである。しかるに、当該医療のその改善すべき部分は、"一般に行われている医療が最善でないこと"への理解が不十分な司法関係者や、医療の受給者である一般の人達には"過失"と認識される恐れがあり、そして、至った結果が重篤な場合、最善から離れた程度に関わらず"重大な過失"と見なされることは、これまでの刑事裁判また民事裁判でしばしば経験された歴史上の事実である。
そもそも一般の人が言う"重大な過失"とは、法律用語としての定義とは異なり、 "結果が重大な過失"を指すことが多い。以下に分かり易い例を挙げてこのことへの理解を得たい。ある医師又は看護師が"A"という薬剤を点滴すべき患者に誤って"B"を注入した。同疾患の別の患者には誤って"C"を注入した。"B"にはたまたま副作用が少なく、それを注入された患者には特に悪い影響は出なかったが、"C"を注入された患者には重篤な副作用が出現し患者が死亡したとする。この時、過失そのものは同じであっても、一般に人は後者を"重大な過失"と言うのである(医療におけるヒューマンエラーの問題については後述する)。この現実があるので、刑事手続きへの利用を許容する事例の中に"重大な過失"との表現が記載されている限り、患者の死亡という重大な結果に至った調査事例の多くにその対象とされ得る可能性が存続する、と危惧されるのである。2) 事故に関わった医療提供者が真実を語れない。
事故に繋がった自らの医療行為に対して"業務上過失致死罪"で刑事訴追される可能性があれば、関わった医療提供者は、委員会調査の段階においても、自己に不利益をもたらす事実を詳細に述べることを躊躇するだけでなく、行為の正当性を主張するであろう。黙秘権を行使する事態さえも生じかねず、これが事故原因解明の妨げとなる可能性は否定できない。事故調査委員会の調査の目的を、再発防止と医療の向上に役立てるための医学的事実の解明と限定し、刑事責任の追求から完全に切り離すことで、当事者から真実を聞き出すことが可能となるのである。
3) 調査報告書の内容が不正確となる可能性が生じる。
医療は高度に専門的な業務であって、事故の原因究明にあたっても、医療内容の是非の検討では専門医が主導的立場をとることは間違いない。問題は、臨床現場を知るそれらの専門医のほとんどが、たとえ、最善でない部分があったことにより不幸な結果が齎された事実があったとしても、患者のためを思い誠実に行った医療行為に対し、刑罰を与えることは"不当"と考えている実情がある(このことについての本会の見解は別記する)。従って、事故に関わった医療提供者をそのような理不尽な刑罰から庇護するという義勇的観点から、報告書の作製にあたって、その医療行為を"適切"と断じてしまう恐れがないとは言えない。これまでも、医事紛争において医療提供者側は、改善すべき点があっても、それが一般臨床の水準から著しく劣っていなければ、"適切"と主張してきた経緯があり、前述の如く"最善でない"が一般の人には"不適切"="過失"と認識され得ることを意識してのことである。そして、この様な状況が、現実にこれまで医療の進歩を著しく遅らせて来たこともまた否定し様のない事実である(医療における"適切"、"不適切"、"過失の有無"についてぁw)ヘ別記に詳述する)。調査報告書が刑事訴追に利用されることが許されるならば、報告書の作製にあたり、改善すべき部分の指摘を消極的にする力が働くと予想され、上記の社会的不利益がこれからも解消されない可能性が高いと考えられる。
4) 医療全般の萎縮を招くことにより医療の進歩が遅れるのみならず、医療の提供者と受給者の信頼関係を損ない社会に悪影響を及ぼす。
このことは、誠実に行われた医療に対して、至った結果を基に刑事責任を問うこと自体が持つ最も重大な社会的不利益である。調査報告書の刑事手続きへの利用の容認は、社会にこの重大な不利益を齎す危険を孕んでいると言わざるを得ない。
これまでの記述は、資格を有した医療提供者が、誠意をもって診療又はその補助を行った場合についてであるが、他方で、調査の過程であるいはその結果、当該医療事故が故意や悪意、或いは患者の利益に即さない目的で行われた医療等に起因するとの疑義が生じた場合、または証拠隠滅やカルテ改竄などの不法行為が発見された場合には異なる対処を施すことに異論はない。
(尚、事故原因調査報告書の民事紛争への利用は、調査の無駄な重複を回避し、紛争を早期に解決するために、これを許容すべきであると考える。但し、報告書には、前述の如く"最善ではない医療"が即ち"過失"ではないことへの理解を促す文面を添える必要がある。また、事故原因の調査に関して付記するならば、報告書が公開されるまでの期間にも、医療提供者側は患者の遺族との話し合いを持つことが重要で、院内の事故調査委員会は、分かる範囲で事故の概要を遺族に対し速やかに説明しなければならない。この時、両者の間にいわゆる"メディエーター"を配置するなどの配慮も今後は必要となろう。更に、調査委員会の公式な"調査報告書"を活用することでADR(裁判外紛争処理)制度などを発展させ、民事裁判の減少と遺族への適正な補償を実現させることも重要である。)
II. いわゆる"診療関連死"を取り扱う機関の管轄について
"事故調査委員会"を含め、"診療関連死"を取り扱う機関は法制化された国の機構として設立されるべきと考えるが、医療関係者及びそれらが組織する団体、すなわち医師・看護師等及び医学会・医師会等、医療機関及びその連合組織等、また、医療・薬事・保健行政に関わる組織等のいずれにも所属せず、医療の提供側と受給側との間で中立の機関とすることが望ましい。上記機関は事故の原因究明を通して医療の安全と質の向上を図り、もって国民の健康に資することを最終の目的とする機関である。それ故、事故の原因解明にあったても、関わった医療提供者の行為のみに止まらず、背景にある医療施設のシステム、医療従事者の勤務体制、場合によっては行政府の施策の問題にまで分析の範囲を拡大する必要が生じる。従って、例えば、厚生労働省内にこの委員会を設置することは同省からの独立性を損なう恐れがあり、行政における過ちを是正することが難しくなる。医療事故への対応は、本来、医療提供者側、例えば医師会などがプロフェッショナルオートノミーに則り自己管理を行うのが理想ではあるが、それが現実に如何に困難なことかは、最近に至るまでの長きに亘り事故原因の究明と再発防止への努力が共に不充分な体制を自ら改革できずにきた我々医療界の過去から推し量ることができる。また、それを知る国民が、"医師が自ら制御する"ことに否定的な意見を持つのは、現下、やむを得ないと考える。従って、"診療関連死"を取り扱う機関は国(国民)が設置する独立した機関でなければならない。なお、委員会等の組織を構・u梵ャするメンバーには、医療提供者側の代表(厚労省役人、医師、看護師など)と医療受給者側の代表(一般国民、有識者、法律司法関係者など)に、医療安全の専門家なども加えるべきである。
III. 届け出対象の明確化と医師法21条との関連について
届出を必要とする"医療行為に関連した死亡"の範囲を明確に且つ具体的に設定し、同時に医師法21条の異状死との区別を明瞭に成文化する。その上で届出を義務化し、違反者及び違反施設に対する適正な罰則を制度の中で規定することを要望する。
「診療行為に関連した死亡(診療関連死)の死因究明等のあり方」が此度厚生労働省で検討の俎上に上った背景には、これまで診療関連死の原因究明や調査に関わる制度がない状況下で、医師法21条の適応に関する法医学会のガイドライン(1994年)の発表、社会的話題性の高い極めて特異な数件の医療事故の発生、それに引き続き2000年に厚生労働省が発した同法21条に対する拡大解釈、及びそれに基づく警察への届出の誘導、が医療現場に大きな混乱を引き起こしている実情がある。この様な状態の継続は、医療事故に関しての不必要且つ有害な警察の捜査を増加させ、医療全体に無視し得ぬ不安と診療の萎縮をもたらし、更にそれは診療を受ける患者の不利益にもつながるものである。検討中の制度は、上記混乱を解決させるためのものでもあり、届けるべき事例の明確化とそれに合わせた医師法21条の拡大解釈の是正を同時に行う必要がある。例えば、医療事故調査委員会に届けるべきは"患者死亡の一義的原因が診療に関連し、当該疾病の病状に対して施行したその医療行為に関連して患者が死亡する可能性が一般的に極めて低い(例えば○%以下)事例"、警察に届けるべきは、"診療に直接関連していない異状死(犯罪や一般の事故死など)の事例"、などの明確な区別を制度規定の中に含めなければならない。"あり方検討委員会"では、現在、届け出の対象事例を"患者死亡の原因が誤った医療による、またはその疑いがある事例"の如く規定する案が検討されているが、これは個々の医療機関の判断に基づく規定で客観的とは言えない。その判断自体が容易でない場合も多く、また、制度化後の拡大解釈も懸念される。一方、よく用いられる"予期せぬ患者の死亡"も、予期するかどうかは当事者の主観によるものであって、やはり客観的とは言えない。以上のことから、本会は、例として上記の如く客観的な規定案を提言するものである。
一方、爾後の医療安全のためにも、また被害者の心情を慰藉するためにも、原因を究明すべき事例の多くが委員会に報告されないとすれば、制度自体が机上の空論になりかねず、その意味で届け出の義務化は必要と考えられる。但し、届けるべき事例を如何に客観的に明文化しようとも、紛らわしい事例が皆無とはならず、解釈の違いによる"届け出違反"もあり得ることを考慮し、それに対する罰則は適正に規定されることが望まれる。
"医療事故に対する刑事訴追"に関しての日本産科婦人科学会の見解
日本産科婦人科学会は、資格を有する医療提供者が正当な業務の遂行として行った医療行為に対して、結果の如何を問わず、"業務上過失致死傷罪"を適応することに反対する。ここで言う"正当な業務の遂行"とは、当該疾病に関わる患者の利益を第一義の目的とした疾病の診断・治療・予防等またはそれに関連する行為を指し、医療的行為であっても、悪意や故意により患者の利益に反する結果をもたらした場合や、上記以外の目的で施行した医療行為は含まない。我が国の刑法には"業務上過失致死傷罪"という罪が規定されており、業務上必要な注意を怠った結果、人の死亡や傷害を惹起した場合は刑罰を課せられ、現行では医療行為も対象の例外ではない。しかし、人の死や傷害に直接関わりを持つこと自体が業務である医療という極めて特殊な分野に同法を適応することには明確な不合理性と社会的不利益が存在する。以下にその根拠となる医療の特殊性を示す。
(1) 業務内容の持つ本来的リスク医療は常に人の死に直面しつつ高度な専門的知識と技術を駆使して遂行される業務である。従って、行為が人の死に直結するリスクは他の業務と比較して著しく高い。このことを、故意でなくとも刑罰を問われ、過失犯罪の例としてしばしば取り上げられる交通事故と比較して論じてみたい。
人が死亡する様な交通事故は一般に、酒酔い運転や速度違反などの交通法違反によるものが多く、安全のために取るべき行動は明確で、精神の緊張を保ち注意義務を守っておれば、大きな事故が発生する確率はそれ程高くない。これに対し、医療による事故は、神経を尖らせ万全の注意を払っていてもある頻度で発生するものである。それが医療の不確実性であり、実際、実地臨床では、より安全な医療のために取るべき行動自体が事後でなければ明確とならない症例も少なくない。引き続き自動車の運転を例にとるならば、医療行為はレースを行っているのと同等と言える程のリスクを本来的に含有しているのであり、この一点だけを見ても、医療に"業務上過失致死傷罪"を適応することの不適切性は明らかである。(2) 適正診療の非普遍性と過失認定の困難性
医療事故が発生した時、当該医療領域の専門家が事後に症例の経過を検討すれば、最善でない判断や行為は必ず見付かる。しかし、それを"過失"と判断するがどうかは別問題である。例えば、悪性腫瘍の診断の遅れが患者死亡の原因となった例や手術中の他臓器損傷が死因となった例などが典型であるが、これらは担当医師の診療能力に帰すべき問題であり、過失かどうかを論議すること自体が妥当ではないと考える。
手術には様々な合併症がある頻度で発生するが、熟練した医師と経験の乏しい医師ではその発生頻度が違うのである。診断の精度に関しても同じことが言え、これが当に診療能力の差である。どの医療分野に於いても、医師は自らの能力の範囲内でしか診療することはできず、その意味では一般に行われている診療の多くは最善でないと言え、そして、もし、問題とされる診断や治療が"適切"か"不適切"かの判断基準を現行の医療水準、すなわち"平均的な診療能力"に置くならば、当然の事ながら、半分の医療行為は"不適切"と判断されることになる。適正な医療とは、同一疾患であっても個々の症例により違うことは言うに及ばず、担当医師の診療能力や医療を実施する場の環境などによっても異なるもので、普遍的に論ずることは不可能である。
この様に我々は、日常的に最善でない医療を行いながら、たまたま不運な条件が重なった事例に遭遇すれば大きな事故に結びつくと言う特殊なリスクを抱えて業務を行っているのであり、改善すべき診療部分が多くの事例で存在する事実を考えれば、それを過失として咎められ刑罰を受けることの不条理は明確で、このことは一般の方々に是非理解して頂かなければならない。勿論、専門職に就く身として、能力不足に対して相応の教育的処遇を受けることを拒むものではない。(3)応招義務と善意の行為
医師には、「診療に従事する医師は、診察治療の求めがあった場合は、正当な事由がなければ、これを拒んではならない。」と言ういわゆる応招義務が課せられている。これも、他の業務と著しく異なる点で、リスクの高い患者であっても診療を拒否することはできないのである。患者の病状が自らの診療能力を超えていることが当初より分かれば、それは診療を拒否する正当な理由になるが、診療を始めてみなければ分らない場合も多く、実際、その判断を当該医師が行うのは難しい。診療を拒否しても医師法違反に問われ、一方でその診療の結果に対して刑罰を課せられるのは明らかに過酷すぎる法規である。
しかし、医師はこの義務に従い診療している訳ではない。一部の例外的な不適格者を除いて、医師は慈悲と善意の精神で、また使命感を持って、病に苦しむ患者の診療を行っているのである。それが故に、譬え一連の診療の過程に至らない箇所があったとしても、結果が不幸な事態となったことで刑事責任を問われるのは許容し難い心情的苦痛を産み出す。起訴に至らない事例でも、警察の取り調べでは、事故に関わった医師や看護師は、患者のためにと思って行った行為を犯罪行為として追及され、他の犯罪者と類似の取り扱いを受ける。この様な処遇は、病を治し人の命を救うことを志し、また病人への献身的な看護を志し、その職業を天職として選択した者達の心根を踏み躙るだけで、医療の向上に益するところは何もない。
医療事故の被害者やその家族の悲しみと苦しみは決して軽視してはならないが、家族の心情を慰藉するために関係した医療従事者に刑罰を与えようとするのは誤った考え方である。事故に関わった医療従事者も大きな悲しみと苦しみを抱えていることを忘れてはならない。患者や家族と利益及び感情を共有し、そのために力を尽くした医師や看護師に刑罰を与えることは善意の行為を後退させるのみならず、善意の対象である患者と医療従事者との関係をも崩壊させる愚行であることは、火を見るよりも明らかである。(4) 刑法の目的との齟齬
刑法の最終目的は「犯罪を防止することによって社会秩序の安定を図る」ことである。刑法の成書には、「刑罰は本質的に悪に対する応報であり、受刑者にとっては多大な苦痛及び屈辱であることに間違いはない。それ故、刑罰を与えるには苦痛を受けても仕方がないというだけの根拠が必要であり、刑法が犯罪として取り上げるべきものは、反社会的行為のうち社会秩序の維持のために放置できない程度の有害な行為で、しかも、刑罰によらなければ防止できない性質のものでなければならない。」とある。この刑法の目的に照らしても、医療事故に対する刑事訴追の不当性は明らかである。
能力不足が原因の医療事故への対処として医療提供者に刑罰を与えることは、以後の類似事故の防止に繋がらないだけではなく、医師や看護師の使命感の喪失と意欲の減退を招き、それが医療の進歩を遅延させることは社会が既に経験して来た事実である。その歴史上の経験を生かし、先進諸外国では法制、或いはその運用によって医療提供者を刑罰から庇護しているのである。再発防止のために最も大切なことは事故の原因を解明して防止策を案出し、それを当該領域の医療界に広く周知することである。と共に、事故の当事者には診療能力を高めるための教育と訓練を施すことが重要で、それに向けての制度整備こそが医療の質を向上させ、延いては社会と国民に利益を齎す最良の方策であろう。
一方、人は誰もミスを犯すもので、医療においてもミスは存在する。むしろ、業務が専門的且つ複雑であるが故にミスが発生する頻度は他の業務より高いと考えなければならない。例えば、1000床程の病床を有する病院では、医師または看護師によるいわゆる"投薬ミス"は月に100件を超え、そのミスを犯すのは特定の者に限らないことが報告されている。すなわち、頻度の差こそあれ、現状の勤務環境下では誰もがミスを犯し得る可能性を否定できないのである。ここで重要なことは、単純ミスとは言えども背後要因が存在することで、過重労働による疲労、勤務体制の不備、ミスを防止或いはカバーするシステムの欠如などが背景にあり、医療従事者の教育に加えてそれらの改善がなければ"ミス"による事故が減少しないことはこれまでの分析からも指摘されている。また、単純ミスが重大な結果を招来するこの分野にこそ、高度のエラー防御システムの導入が必要で、個人が刑事責任を問われた過去の事例に於いても、システムエラーの要素が無視できないと言及されている。
この様に、ヒューマンエラーを起こした個人に刑罰を課してもミスは減らないのが現実であり、その刑罰の意味は"被害者感情に配慮した応報"以外に求めることができない。遺族の感情を軽視してはならないことは既に述べた通りであるが、そのために医療提供者に刑罰を課すことは、より大きな負の作用を社会に与えることも事実である。
以上、日本産科婦人科学会は、社会正義と国民の利益の視点から、医療事故に際しての医療提供者に対する刑事責任の追求に強く反対するものであり、そのための法制上の対処を要望する。尚、誤解を避けるために、悪意、故意、また、患者の利益に即さない目的で行われた医療等による事故、及び証拠隠滅、カルテ改竄などの不法行為に対しては上記の限りでないことをここに再記載する。