◆なぜ新型インフルエンザワクチンを法定接種にしないのか

 以下の論文をソネット・エムスリーに発表しました。

◆なぜ新型インフルエンザワクチンを法定接種にしないのか
「重症化予防から集団免疫獲得」に変更した医系技官の矛盾
上昌広(東京大学医科学研究所先端医療社会コミュニケーションシステム社会連携研究部門准教授)
http://www.m3.com/iryoIshin/article/111621/

【新型インフルエンザワクチンは国家の危機管理】

 11月17日、衆議院の本会議で、「新型インフルエンザ予防接種による健康被害の救済等に関する特別措置法」(以下、新型インフル特措法)案の審議が行われた(法案の内容はこちら http://www.go.jp/topics/bukyoku/soumu/houritu/173.html)。

 長妻昭厚労大臣は、新型インフルエンザワクチン接種の目的は「国家の危機管理として」「重症化予防のために」と説明をした。これらは厚生労働省の医系技官の書いた答弁を読み上げたものだろう。確かに、厚労省が国会に提出した新型インフル特措法第1条にも、「厚生労働大臣が行う新型インフルエンザ予防接種」と謳っており、国策として行うことになっている。

【個人の重症化予防と説明してきた医系技官】

 ところが、これまで医系技官たちは、上記とは違う説明をしてきたことを覚えておられるだろうか。

 9月4日には、新型インフルエンザワクチンの目的は「死亡者や重症者の発生をできる限り減らすこと」と発表している(9月8日の新型インフルエンザ対策担当課長会議の資料 http://www.mhlw.go.jp/kinkyu/kenkou/influenza/dl/infu090908-01.pdf)。つまり、個人の重症化予防を目的としていると掲げたのだ。この時期、厚労省検疫官の木村盛世氏はじめ、多くの人々から、「接種の目的を理解していない」「ブレまくっている」等の批判を受けての発表だったのかもしれない。

 10月1日、着任早々の長妻大臣が発表した、ワクチン接種の基本方針の目的には、「死亡者や重症者の発生をできる限り減らすこと」とあり、ここでも個人の重症化予防を掲げている(新型インフルエンザワクチン接種の基本方針の資料 http://www.mhlw.go.jp/kinkyu/kenkou/influenza/dl/infu091002-11.pdf)。

【岩田健太郎教授の主張を利用して方針転換】

 医系技官がこれと食い違う説明を始めたのは、11月11日の「新型インフルエンザワクチンに関する有識者との意見交換会」のときだった。提出された神戸大学感染症内科教授の岩田健太郎氏の意見書を、医系技官は丁寧に説明し、その後、司会した自治医科大学教授で医系技官OBでもある尾身茂氏は、「ワクチン接種1回か2回かという議論では、岩田氏の意見書と外国のデータが重要」と、なぜか参考とする情報を限定した(岩田氏の資料 http://www.mhlw.go.jp/kinkyu/kenkou/influenza/dl/infu091111-06.pdf)。

 この岩田氏の意見書の大まかな趣旨は、「集団免疫(Herd Immunity)の獲得」という概念に基づき、できるだけ多くの人に1回接種するというものだ。つまり、本人のためにしっかり2回接種するのではなく、集団免疫の考えを より強く打ち出して1回にするということだが、この提案が、そのまま決まってしまった。これは、医系技官が主張してきた「個人の重症化予防」という目的とは明らかに違う。

 新型インフルエンザワクチンについては、エビデンスのない世界だから、いずれかが正しくていずれかが間違っているということは言えない。国民のコンセンサスを得られるの であれば、「個人の重症化予防」でも、「集団免疫」でも、いずれの理念に立つことも、あり得るだろう。しかし、これほど簡単に国策の根幹をなす理念や目的がブレてしまうよ うでは、「二兎を追うものは一兎をも得ず」ということになり、国民や医療現場は空しく翻弄されるだけだ。

【集団免疫を目指すなら、なぜ法定接種にしないのか?】

 さらに大きな問題は、「集団免疫」を目的とすると、法定接種にしなかったことの理屈が成り立たなくなる点だ。どういうことだろうか。

 予防接種法では、一類疾病は、「その発生及びまん延を予防することを目的として」おり、まさに「集団免疫」の考え方で、二類疾病(65歳以上の季節性インフルエンザ)は 、「個人の発病又はその重症化を防止」を主たる目的として、「併せてこれによりそのまん延の予防に資することを目的」としている。もちろん、集団のためか、個人のためかは 、医学的には不可分だから、法律上、区別して二者択一とすること自体、机上の理論であると言わざるを得ない。しかしながら、現行法上そうなっているのだから、とりあえず今 はこの考え方に従うしかない。

 予防接種法に従って、医系技官は、新型インフルエンザワクチンは個人の重症化予防を目的としているのだから、予防接種法に位置づけることはできないとして、法定接種とす ることに抵抗してきた。現在、行われている新型インフルエンザワクチンの予防接種は、法律上は国民と医療機関との民と民の契約に基づき、国民が勝手に打っているだけだ。厚 労省は、「行政サービス」として、優先接種を決めながら、細かい指示を出していることになる。

 その結果が、現在の(1)医療現場の大混乱、(2)ワクチン接種費用の国民の自己負担、(3)副作用が起きても国民は十分に補償されない、訴訟した人だけが補償される、 (4)国策であるにもかかわらず、国ではなく医療者が訴訟リスクを負うといった、数々の問題だ。

 しかし、「集団免疫」を目的とするならば、まさに予防接種法の一類疾病の考え方にぴったり当てはまる。法定接種にしさえすれば、多くの問題を一挙に解決できる。

 例えば、法定接種であれば、(1)接種場所は、個別の診療所(医療機関)ではなく、行政機関である保健所や保健センターとなるので、集団接種が可能。まだ新型インフルエ ンザにかかっていない、ワクチンを接種したい人々が、感染リスクの高い医療機関に行く必要もなくなる、(2)費用は国や市町村の負担となるので、個人は無料接種、(3)副 作用が起きたとき、国民は訴訟を起こさずとも、事務的に申請すれば国から十分な補償を受けることが可能、(4)接種主体は国であって医療者ではないので、訴訟リスクは医療 者にはかからない、といったメリットがある。なお、法定接種であっても、最後は個人の判断で決める、「任意接種」であることに変わりない。

 医系技官が、これほどまでに、法定接種にしないことに固執しているのはなぜだろうか。国策として国が介入しておきながら、自らは責任回避し、すべて医療関係者たちに責任 転嫁したのだろうか。

【まだ、一縷の望みが残っている】

 最後に、一縷の希望がまだ残っていることを示したい。冒頭で述べた、新型インフル特措法の附則の第6条に、下記の条文がある。私たち国民が声を上げていけば、政府はワク チンや健康被害の救済措置の在り方等について、必要な措置を講ずる用意があるということを、政権交代の混乱の中、足立信也・厚生労働大臣政務官が書き加えたのだ。私たち国 民も、よく考え、行動を起こしていく必要があるのではないだろうか。

◆新型インフルエンザ予防接種による健康被害の救済等に関する特別措置法案

第六条 政府は、厚生労働大臣が行う新型インフルエンザ予防接種の実施状況、新型インフルエンザ予防接種の有効性及び安全性に関する調査研究の結果等を勘案し、将来発生が見込まれ る新型インフルエンザ等感染症(感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律第六条第七項に規定する新型インフルエンザ等感染症をいう。)に係る予防接種の在り 方、当該予防接種に係る健康被害の救済措置の在り方等について、速やかに検討を加え、その結果に基づいて所要の措置を講ずるものとする。