JMM 『絶望の中の希望~現場からの医療改革レポート』 9

村上龍氏主催のメルマガJMMに拙文が掲載されております。

                     2008年7月16日発行
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JMM [Japan Mail Media]         No.488 Extra-Edition
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 ■ 『絶望の中の希望~現場からの医療改革レポート』 上 昌広 

      第9回 日本の医師不足~第四回 医師不足への処方箋 医学部定員数50%
       増員の提案


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「日本の医師不足~第四回 医師不足への処方箋 医学部定員数50%増員の提案」

 

 これまで三回にわたり、我が国の医師不足の実情、歴史的背景を説明してきました。要約すると以下のようになります。

1)我が国の人口1000人あたりの医師数は2.0人であり、先進国中最低水準である。ちなみに、イギリス、米国、カナダ、オーストラリアなどのアングロサクソン系諸国は2.1-2.7人で、ドイツ、フランス、イタリアなどの大陸諸国は3.4-4.2人です。アングロサクソン系諸国では医師を補助するコメディカルの数が多いのですが、我が国はコメディカルの数も不足しています(米国の25%程度)。

2)医師数が増えると医療費が増加するという「医師誘発需要学説」は、最近の医療経済専門家の間では否定されています。つまり、医師数を増やしても、国民医療費が増加するとは言えません。

3)我が国の医師数は毎年4000人程度増加しています。しかしながら、増加しているのは壮年期以降の医師であり、病院に勤務する若手医師の数は横ばいです。小児科、産科、外科などの勤務医数は既に減少し始めています。

■ 医師不足の解決方法は?

 これまでの議論から、我が国では医師の絶対数が不足していることをご理解いただけたかと思います。特に病院勤務医の不足は深刻であり、現状の医師養成制度を続ける限り解決の目処は立ちません。

 この問題については、政府、与野党、関係団体などから様々な解決策が提言されていますが、大別すると勤務医の増員と勤務医の負担軽減に分けることができそうです。勤務医不足を改善するには、両方の対策ともに重要なのですが、両者では優先順位が異なります。

■ 勤務医の負担軽減

 病院勤務医の過酷な労働条件は多くのメディアで報道され、国民的な理解が進んできました。頻回の夜間当直、当直あけの通常勤務、夜間の緊急呼び出しなど、一般の社会人の方は経験されないことが多いでしょう。 現在、厚労省は、病院勤務医の負担を軽減するため、医療行為の一部をコメディカルに権限委譲することと、医師に補助員(メディカルクラーク)をつけることを考えています。

 一つめの医療行為の権限委譲については、厚労省は「スキルミックス」という表現を用いてイメージ形成に成功しているようです。従来、この問題は日本医師会が自らの権限を守るために、権限を委譲しなかったような論調で報道されることが多かったと感じていますが、実態はそれほど単純ではありません。

 私も条件が整えば、規制緩和することに賛成です。しかしながら、我が国では病院で勤務するコメディカルの数も非常に不足していることを認識している人はどの程度いるのでしょうか。もしも、アングロサクソン系諸国で発達したコメディカル制度を日本に本格的に持ち込むなら、そのような国でのコメディカルの養成数、教育の実態、その経済的負担なども併せて議論すべきと考えます。ちなみに、我が国の病院ベッド数あたりのコメディカル雇用数は米国の1/4以下です。私には、医師不足で叩かれた厚労省が「スキルミックス」という口触りの良い言葉を言い出したような気がしてなりません。我が国の医師の養成数を欧州の大陸系諸国と同数まで増やすことが短期的には不可能であることを考えれば、コメディカルへ期待せざるを得ません。ただ、その場合にまず議論するのは、コメディカル養成数の話であり、権限委譲ではないはずです。

 二つめのメディカルクラークは、我が国の医療現場の問題の縮図のような存在です。医師不足で病院が閉鎖している昨今、医師の仕事をサポートする秘書を雇うことに異論がある人はいないでしょう。では、どうして厚労省が予算請求しなければ、医師に秘書がつかなかったのでしょうか? 医師と秘書の給与を考えれば、どちらが経済的に合理的かは誰が見ても明らかです。実は、多くの民間病院では医師をサポートする秘書は以前から雇われていました。私は、官公立、民間の何れの経営形態の病院でも勤務したことがありますが、民間病院には秘書的役割の人がいて、雑務のかなりをカバーしてくれて本当に助かりました。秘書を雇えないのは、もっぱら官公立病院なのです。このような組織では公務員定数や経営の問題があり、病院管理者の判断で必要な人材を雇用できないのです。現在の医療費抑制政策のもとでは、多くの公的病院は赤字経営を強いられ、メディカルクラークを雇用する財源すら手当てできないのが現状です。末端職員の雇用まで厚労省が指示する「医療クラーク制度」は、「箸の上げ下ろしまで役所が指示する」護送船団方式の残照のように見えます。舛添厚労大臣が、しばしば発言しているように「厚労省は、金は出すが、口は出さない」ことが必要でしょう。

■ 勤務医を増やすために:開業規制は絵に描いた餅

 このように勤務医不足の問題を、勤務医へのサポート強化やコメディカルへの権限委譲だけで解決することは不可能です。勤務医が不足しているのですから、勤務医を増やすしかありません。では、どのような方法が現実的でしょうか。 現在、一部のメディア、厚労省は勤務医の開業規制を要求しています。「勤務医不足は、病院から逃げ出して開業する医師が多いためだ」という論調です。しかしながら、この分析は不正確ですし、開業規制をしても勤務医不足は改善されないでしょう。なぜなら、今、開業している医師の多くは壮年期の医師であり、この世代の医師が開業医や管理職になることは、医師のキャリアパスに準じているからです。前回も紹介しましたが、昭和50年頃に設立された新設医大の卒業生が「開業適齢期」を迎えているため、開業医が増えるのは当たり前なのです。彼らに当直や残業などの肉体的負担が大きい病院勤務医を無理矢理に続けさせることは現実的に不可能ですし、医療安全の側面からも褒められた話ではありません。

■ 開業医は病院をサポートできるか:長崎県諫早医師会の試み

 開業規制の実効性がないのであれば、どのような方法があるでしょうか? その一つが、開業医が病院での診療に協力することです。7月9日の毎日新聞に諫早医師会の興味深い活動が紹介されました。

 諫早市は長崎県南部に位置する人口14万人の都市で、ご多分に漏れず、医師不足が深刻な問題となっていました。特に小児科医が不足し、その勤務状況を改善する必要に迫られたようです。この状況は兵庫県の県立柏原病院と似ています。柏原病院では、地元のお母さんたちと地元紙である丹波新聞が立ち上がったのですが、諫早市では地元医師会が立ち上がりました。

 諫早市医師会は高原 晶先生というカリスマ性を持つ会長がリードする集団で、医療界では様々な活動を通じて広く知られた存在です。このような状況を受けて、諫早医師会の小児科医たちは、中核病院である諫早総合病院の準夜帯の勤務を交代で引き受けたのです。この結果、諫早総合病院に勤務する小児科医の勤務条件は劇的に改善しました。ところが、驚いたことに、この診療体制は小児科開業医やお母さんたちにも歓迎されたのです。小児科開業医は夜間診療に交代で参加することにより、それ以外の日の急患に対応する必要がなくなりました。つまり、開業している小児科医にとっても、労働条件が改善されたのです。一方、お母さんたちにとっては、どんな病気でも市民病院にいけば診てもらえるのですから、窓口が一本化されたわけです。

 開業医と病院勤務医の協力を「病診連携」といい、厚労省が強く推進しています。ところが、諫早医師会のような発想が議論されることはありませんでした。このような取り組みが諫早市で始められたことは、諫早市の人口規模、歴史、地元コミュニティーの問題意識の高さなど、幾つかの要因と関係しているのでしょう。諫早総合病院に窓口が一本化したからといって、コンビニ受診が増えれば対応できなくなることは明らかです。このような制度を作り上げ維持するのは、地域の人々のモラルに委ねられており、諫早市の取り組みには全国の医療関係者が注目しています。

■ 医学部定員の50%増員が必要

 医師不足問題を解決する最善の策は何でしょうか。筆者は、この問題の抜本的解決は医師の増員しかなく、他の施策は補助的な役割を果たすに過ぎないと考えています。

 現在、病院勤務医は週平均70~80時間の勤務を強いられ、医療事故の原因となっています。皆さんのご子息が大学を受験する際に、前日に徹夜勉強をゆるしたりしないでしょう。しかしながら、皆さんの家族が外科手術を受けるときには、担当医は当直あけかもしれないのです。これは明らかに危険です。安全な医療を提供するためにも、医師の労働時間を適切に管理しなければなりませんが、現在の医師不足論争では医師の労働条件を加味しない、数あわせだけに焦点が当てられています。 我が国で医師になるためには大学医学部を卒業し、医師国家試験に合格しなければなりません。医師国家試験の合格率は90%程度でほぼ一定していますから、医師養成数を増やすためには、大学医学部の定員を増やす以外に方法がありません。

 では、医学部の定員をどの程度増やせば、医師不足が解決するのでしょうか。現在、政府は医学部定員を現行の7898人から過去の最大定員である8360人まで増やそうと考えているようです。これは医学部の施設、教官などの教育インフラを強化することなく対応可能であることから出てきた理屈なのでしょう。確かに、この方針をとった場合、人口1000人あたりの医師数は2018年に2.45人、2028年に2.76人、2038年に3.0人に達し、医師不足は解決するかに見えます。しかしながら、医学部定員を元に戻しただけですから、若手勤務医の増員は期待できず、増えるのはもっぱら勤務医を「卒業」した壮年期の医師なのです。現に、我々の試算では、勤務医の労働時間は現在の73.9時間から2038年に68.7時間に短縮されるに過ぎません(http://kousatsu.umin.jp/files/sankou7-1.jpg)。
詳細は当研究室のHPをご覧ください(http://kousatsu.umin.jp/files/sankou7-2.jpg)。このトリックは、今回の医学部定員増が約400人、昭和50年頃の一県一医大構想による医学部定員増が約4000人であることを考えれば自明です。ちなみに、年間400人程度の定員増では、22年後に最大となる国民の医療ニーズ(http://kousatsu.umin.jp/files/sankou5.jpg)に対して、必要な医療を提供することは不可能です。

 私たちは、医師養成定員を50%の増員、具体的には毎年400人ずつ、10年かけて4000人増やし、患者需要がピークとなる2030年を目処に医師養成定員を減らすことを提案しています。この場合、ピーク時には毎年12000人の若者が医学部を卒業し、勤務医になります。一方、約8000人が壮年期を迎え、病院勤務医を引退するため、毎年4000人の勤務医が増加します。この結果、若手医師の絶対数が増加し、病院勤務医は充足すると同時に(http://kousatsu.umin.jp/files/sankou7-2.jpg)、6年後から医師の勤務時間は減り始め、13年後には70時間を達成、24年後に60時間となります。また、人口1000人あたりの医師数は2018年には2.47人、2028年には3.00人、2038年には3.49人に到達します。ちなみに、現在と比較してピーク時(2018-2025年)には医学生が2.4万人増えますから、現在の医学生一人あたりの交付金の平均788万円を当てはめれば、医師養成のための公的負担は約1800億円になります。これは、東京大学の総人件費のおよそ倍です。このように、高齢化する我が国で医療制度を維持するためには、このレベルの医学部定員の増員が必要不可欠なのですが、まだまだ国民的なコンセンサスが形成されているとは言えません。為政者は医療費高騰、医療者は医師過剰について不安に思っています。さらに国民には正確な情報が提示されていないように感じています。今後、データに基づく、国民的な議論が必要です。

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上 昌広(かみ・まさひろ)
東京大学医科学研究所 探索医療ヒューマンネットワークシステム部門:客員准教授
Home Page:<http://expres.umin.jp/>
帝京大学医療情報システム研究センター:客員教授
「現場からの医療改革推進協議会」
<http://plaza.umin.ac.jp/~expres/mission/genba.html>
「周産期医療の崩壊をくい止める会」
<http://perinate.umin.jp/>
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