JMM 『絶望の中の希望~現場からの医療改革レポート』 8

村上龍氏主催のメルマガJMMに拙文が掲載されております。

                       2008年7月2日発行
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JMM [Japan Mail Media]      No.486 Extra-Edition2

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 ■ 『絶望の中の希望~現場からの医療改革レポート』 上 昌広 

      第8回 日本の医師不足~第三回 大学医学部定員削減の閣議決定撤回の裏側

 

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 ■ 『絶望の中の希望~現場からの医療改革レポート』         第8回
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「日本の医師不足~第三回 大学医学部定員削減の閣議決定撤回の裏側」

 前回の配信で、次は医師の偏在問題を取り上げると書きました。しかしながら医師不足問題に関して、医師定員削減の閣議決定撤回という大きな動きがありましたので、今回の配信ではこの動きとその背景を解説させていただきます。

■ 25年ぶりの医師定数削減の閣議決定撤回

 6月17日、政府は1997年の医師定数削減の閣議決定を、事実上撤回しました。同日の記者会見で舛添要一厚生労働大臣は、「(政府は従来)医師数は十分だ、偏在が問題だと言ってきたが、現実はそうではない。週80-90時間の医師の勤務を普通の労働時間に戻すだけで、勤務医は倍必要だ」と、必要な医師数に関する具体的な数字を挙げました。また翌日には、超党派の「医療現場の危機打開と再建をめざす国会議員連盟」(会長・尾辻秀久参院議員)が、舛添要一厚生労働相と大田弘子経済財政担当相を訪問し、医学部定員を毎年400人ずつ増やし、現在の8000人を10年後に1万2000人にまで増やすことを提案しました。

 医師数削減の閣議決定が25年ぶりに変更されたことは、マスメディアでも広く報道され、医療界にも大きな衝撃を与えました。しかしながら、医師を増やすのには財源を要しますし、医師が増えると医療費が増えると思っている人々が大勢います(これは「医師誘発需要学説」といいますが、多くの医療経済専門家は誤りであると考えています)。

 このため、医学部の定員増について関係者の間で激しく意見が対立し、調整にかなり手間取っているようです。総じて、舛添厚生労働大臣や尾辻議連のように病院や勤務医の実情に詳しい議員は、医学部定員の大幅増員に肯定的です。しかしながら、政府筋、国会筋、一部の医師からは、医学部定員数を8360人に戻すだけで「骨抜きにしてしまおう」という意見もあるようです。今回、政府は医師数を増やすこと、つまり医学部の定員数を増やすことで合意しましたが、その具体的な数字についてはまったくコンセンサスが得られていません。以下、この問題について考えてみたいと思います。

■ 日本の医師不足に対する厚労省の従来の見解

 前回もご紹介させていただきましたが、他の先進国と比較して我が国の単位人口あ
たりの医師数は少なく、OECD諸国の3分の2です。
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特に、産婦人科、小児科、内科、外科等の勤務医の数は減少しつつあります。
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地方での医師不足は言うまでもありませんが、東京築地の国立がんセンター中央病院でさえも麻酔医不足のため、手術数を減らしています。このように、医師不足は地方だけでなく全国的な問題となっています。

 ところが厚生労働省は、毎年7700人が医師の資格を取得し、退職者を差し引いても年間3500人から4000人が増加しているため、近い将来、医師は過剰な状態になると主張しつづけてきました。この理屈を信じれば、「現在でも医師数は毎年4000人ほど増えているが、それでも地方の医師不足が深刻化しているのは、医師が都会に集中するためだ」「医師が病院勤務をやめ、開業してしまうので勤務医が減っている」という医師偏在説も納得がいきます。しかしながら、この説明は現在の医師不足を説明するには不十分で、正確な情報を提供していません。なぜなら、我が国で不足しているのは勤務医であり、開業医は増加しているからなのです。

■医師のキャリアパス

 この問題を考えるためには、開業医と勤務医の関係、つまり医師のキャリアパスをご理解いただく必要があります。

 多くの医師は、20代中盤で大学医学部を卒業したあと、40-50才くらいまで勤務医として働きます。医師は大学を卒業すると、大学医局や先輩の紹介で幾つかの病院や研究機関をまわり、診療や研究の腕を磨きます。この期間はいわば医師の修行期間ですから、ハードな勤務を強いられます。先輩医師や患者さんに叱られながらも、歯を食いしばって頑張るわけです。まさに職人が修行するのと同じようなイメージを持っていただければいいでしょう。実際、私も研修医時代には何日も家に帰らないことが日常的でしたし、大学院生として分子生物学の研究をしているときは、連日、深夜まで働きました。また、大学院を卒業すると、研修医を指導する指導医になることが多いのですが、多数の新米医師を抱え、部長・教授や看護師、患者さんの間に入って色々と苦労するものです。

 しかしながら、40才も半ばを超えてくると、このような仕事ぶりを続けることは肉体的に難しくなります。するとその頃から、市中病院の管理職になったり、あるいは開業して第二のキャリアパスを歩みはじめる人がでてきます。このようにして、医師は徐々に勤務医を卒業していきます。医師といえば、山崎豊子さんが「白い巨塔」で描いたような教授を目指した熾烈な競争をイメージされる方が多いかもしれませんが、大学教授になる人は絶対数としては少ないのです。多くの医師はこのような経過をたどり、市中病院の管理職や開業医となって地道に地域医療に貢献するようになります。医師会というのは、このような段階に到達した医師の集まりという意味合いをもっています。

 かつて、大学の医局制度が機能していた頃は、勤務医を終えて開業し、地域医療を守っている先輩医師が後輩の勤務医を応援するという構造がありました。様々なメディアで絶対権力を持つと描かれている教授といえども、地元に多数の先輩が開業しているため、彼らのチェックを受ける立場でした。

■医療の高度化と専門医

 ところで、近代医学は急速な進歩を遂げ、高度化しつつあることに異論を挟む人はいないでしょう。ただ多くの人は、医療の高度化というとCTスキャンやMRIなどの医療機器、あるいは遺伝子診断や臓器移植などを思い浮かべるのではないでしょうか? 確かに、このような新規医療技術の登場は医療の高度化の一側面ではあるのですが、それだけでは不十分です。実は医療の高度化は、医療者の専門分化と密接に関係するのです。例えば、かつて外科手術は、麻酔、手術、術後管理、輸血などを外科医が一人で全て行っていました。しかしながら各分野の研究が進むと、一人の医師が全ての分野の最先端を身につけることはできなくなりました。この結果、全ての分野に専門家が登場し、社会は高度医療を求めるようになりました。こうして総合医より専門医が高く評価されるようになったのです。ちなみに、これは日本だけではなく欧米でも見られる普遍的な現象です。

 さてここで注意していただきたいのは、高度医療を担ったのは、診療所(開業医)というよりもっぱら病院(勤務医)だったということです。すると臨床検査など一部の分野では機械化・自動化が進みましたが、多くの診療分野では専門医の労働に依存したため、病院は多数の専門家を揃えざるを得なくなりました。このため、我が国は高度医療を担う若い専門医を多数養成せざるを得なくなったのです。

■一県一医大制度が勤務医不足を緩和してきた

 このような専門医の大量養成を可能にしたのは一県一医大制度です。この制度により、昭和40年代から50年代半ばにかけて全国に37の医学部が新設され、医学部定員数、つまり年間の医師養成数は4000人増加しました。このような新設医大の卒業生はもっぱら勤務医として働いたため、勤務医の絶対数は毎年4000人ずつ増加し、病院での高度医療を担いました。

 ところが、平成10年代の半ばになると、新設医大の卒業生が40代中盤にさしかかり、勤務医を卒業するようになりました。卒業生と同数が引退するわけですから、勤務医の総数は増加せず、勤務医を終える世代だけが増加するようになるわけです。当研究室のHPをご覧いただければ、既に44歳以下の医師数は定常状態に達し、壮年期以降の医師が増加していることがわかります。
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 このように考えれば、厚労省の「医師は毎年4000人増えているため、将来的には医師不足は解消する」という説明は不適切と言わざるを得ません。正確には「壮年以降の医師が毎年4000人ずつ増えており、この状況では勤務医不足は解決する目処がない」というべきところなのです。

 このような勤務医数の絶対的不足の状況下では、病院を受診する国民のニーズに応えるために、勤務医は週平均70.6時間、若い世代では週平均80時間もの過剰な勤務を強いられています。
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これは欧米における医師の週平均労働時間30-55時間の約2倍で、少なからぬ医師が過労死の危険域に入っています。一方、国民の医療ニーズは今後も増加を続け、
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かつ多様化する傾向にあります。すなわち今後も需給バランスは乖離を続け、この状態が続けば勤務医不足は益々悪化し、医療崩壊は加速せざるを得ません。このような背景を理解すれば、政府が検討している医学部定員の最大8.6%増しでは焼け石に水であることがお分かりいただけるでしょう。確かに医師の養成には時間がかかります。しかしながら、この問題については、出来るだけ早く手をうたなければ、取り返しのつかない事態に陥ることが明らかです。

 次回、医師不足問題に関する具体的な解決法について幾つかの案を紹介すると同時
に、私たちの考えを述べさせていただきます。

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上 昌広(かみ・まさひろ)
東京大学医科学研究所 探索医療ヒューマンネットワークシステム部門:客員准教授
Home Page:<http://expres.umin.jp/>
帝京大学医療情報システム研究センター:客員教授
「現場からの医療改革推進協議会」
<http://plaza.umin.ac.jp/~expres/mission/genba.html>
「周産期医療の崩壊をくい止める会」
<http://perinate.umin.jp/>
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