患者さんたちからの声


多くの方々から、貴重なご意見をいただきましたのでご紹介します。

医療事故で家族を亡くしましたが、亡くなるまで、病院は人として患者さんとして扱ってくれました。しかし、一旦モデル事業での解剖を行うことになると、家族の思いは無視され、モノとして扱われたという悲しみが残っています。「モノですか」と強く言いたかったです。ただでさえ悲しい時期に、あのような悲しい思いを今後二度と味わわせたくありません。


子供を白血病で亡くしました。その後、やはり子供を知らない他の人よりも、やはり実際にずっと子供を知っている病院の先生と対話がしたかった。でも、そういう場がなかった。最近ようやく、先生と話すことができて、子供のことを話せて、本当に良かったです。


医療のように完全に再現性がない状態では”真実”の定義そのものが難しいことは十分理解しておりますが、当事者が”真実”に近づくことを目的とする場は必要であると思います。 法的な対応の場とは別に、当事者である医療機関と遺族とが納得できる結論を、より公正な立場でリードできる機関の設置を求めます。


家族を亡くした遺族は、いったん疑いを持つと、事実関係を明確にすることを第一に考えます。また、たとえ医療の地域差があっても、医療は患者さんと医師との信頼関係で成り立っています。信頼関係を構築する対策をとることで、少なくとも訴訟という事例は減少するのではないでしょうか。そのためには、ひとりの患者さんにたいして十分な時間が取れる体制にすることが必要と考えます。


ありきたりですが、リスクを伴う治療や、医療者側に不都合になるような事実を隠したり、曲げたり、説明してくれないといったことが無くなる医療現場を望みます。医者は自分の身分を守ることができるだけの権力があると私は思います、しかし患者にはそのような権力はありません。
一部の心無い医師の言動により全ての医師が”悪”とも思われてしまいます。もっと医師と患者のコミュニケーションがとれるような体制には出来ないのでしょうか? 互いの立場を理解し思いやる気持ち、今の日本に無くなりつつある大切なものではないでしょうか?


患者、医師との間のコミュニケーション不足は立場の違いもあり、解決しなければなりません。対話を仲介しコミュニケーションをはかる機関の設置は不可欠です。強く開設を希望いたします。


医師の置かれた環境のみならず、患者が主体となるべき医療の現状には私も多くの改善点があると考えております。


私がもし医療事故にあったら、長い間お世話になった先生から、どういう事情だったかを説明してほしいと思います。


現場の医師や看護婦が医療ミスで訴えられる事を戦々恐々している状況では、結局、リスクを冒してまで、患者を救おうとする人が減ってしまいます。医療ミスをしてしまった医師や看護婦に、結果責任として責任を追及することは、医療現場に携わる人間を萎縮させるばかりで、結局、積極的な治療を行われない等、患者の不利益につながると思います。
現場で何がどう医療ミスにつながったかを明かにする事は、患者さんへの謝罪や、今後の医療への反省としても必要だと思いますが、それを、医療現場スタッフの責任追及で終わらせず、医療現場を改善していく方向であって欲しいと願います。



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