医師法21条の歴史と矛盾


「第21条 医師は、死体又は妊娠4月以上の死産児を検案して異状があると認めたときは、24時間以内に所轄警察署に届け出なければならない。」

医師法のルーツは、明治7年(1874年)に発布された医制(明治7年文部省達)に遡る。江戸時代に我が国の医療の主流であった漢方に代わって、蘭方とも呼ばれていたヨーロッパの医学とその近代的な法制を取り入れたものであり、医学教育の過程を修め、臨床経験を有することを条件として免許を与えることとしている。以来、医師法21条についても、その趣旨は改正されることなく、今日まで続いている。その医師法21条は、次のように書かれている。「医師は、死体又は妊娠4月以上の死産児を検案して異状があると認めたときは、24時間以内に所轄警察署に届け出なければならない。」
 当時の警察は、内務省の組織であった。明治維新の混乱から新しい日本が誕生した過程のひとつに、明治6年(1873年)の内務省の設置がある。内務省は、警察、衛生、労働、地方自治、土木など、幅広い分野を所管する、内政の中心であった。
 当時の衛生状態を想像してほしい。疫病・飢饉・殺人等による死体を、道ばたに見かけることも珍しくなかったであろう。そこで、死亡診断書を書く医師に、つまり人間の「死」を最終的に診断する医師に対して、疫病・飢饉・殺人等を示唆する「異状」がある死体を見つけた場合は、内務省に届け出る義務を課したのは、ある意味で当然の社会的ニーズだったと言える。そして、疫病・飢饉のような公衆衛生を担う官庁と、殺人のような犯罪の捜査を担う官庁が、内務省というひとつの組織だったため、この届け出制度が矛盾をはらむことはなかったのである。
  しかし、1938年に内務省から厚生省が独立し、昭和22年(1947年)、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の指令によって内務省は解体される。こうして、疫病・飢饉のような公衆衛生を担う厚生省と、殺人のような犯罪の捜査を担う警察が、分かれてしまったにも関わらず、医師法21条は改正されることはなく、異状死の届け出先は警察のままであった。
  GHQの置きみやげがもうひとつある。死体解剖保存法第8条 ※1 に基づく監察医による解剖、いわゆる行政解剖である。明治維新後の我が国の国づくりは、ヨーロッパの大陸法に倣うところが多く、特に医療に関する法制度は大陸法を取り入れており、それは今でも引き継がれているが、敗戦後、大陸法とはかなり性質の異なる英米法の概念によって、「(前略)都道府県知事は、その地域内における伝染病、中毒又は災害により死亡した疑のある死体その他死因の明らかでない死体について、その死因を明らかにするため監察医を置き、(中略)解剖させることができる。」(死体解剖保存法第8条) ※1 という監察医制度が置かれたのである。つまり、殺人のような犯罪の捜査のために警察が刑事訴訟法に基づいて行う司法解剖と、疫病・飢饉のような公衆衛生目的で都道府県が監察医を置いて行う解剖(いわゆる行政解剖)が、我が国では明確に分かれてしまったのである。所管官庁も、警察と厚生省に分かれており、疫病・飢饉のような公衆衛生目的で異状死体を届け出る場合も、警察へ届け出るという医師法21条そのものが、矛盾をはらむこととなる。
 そして、既にお気づきのように、医師法21条も死体解剖保存法も、医療関係の事例など想定していない。いずれも、疫病・飢饉のような公衆衛生と、殺人のような犯罪を想定して設立された法律なのである。しかし、平成6年(1994年)、当時の臓器移植法案に関連して、異状死体からの臓器移植の可能性が議論され ※2日本法医学会 異状死ガイドライン を作成した。このガイドラインには、「異状死の解釈もかなり広義でなければならなくなっている」として、届け出るべき異状死に「診療行為に関連した予期しない死亡、およびその疑いがあるもの」を含めると書かれており、ここに、医師法21条を拡大解釈して医療を対象とすることが明記されたのである。
 
昭和24年に、厚生省は、医療は医師法21条の届け出対象ではないという認識を示している。局長通知で「死亡診断書は、診療中の患者が死亡した場合に交付されるもの」「死体検案書は、診療中の患者以外の者が死亡した場合に、死後その死体を検案して交付されるもの」(医発385 医務局長通知)と周知している。しかし、日本法医学会ガイドライン が出された後の平成12年(2000年)、厚生省はこの認識を覆す指示を出す。国立病院部政策医療課の「リスクマネージメントマニュアル作成指針」において、「医療過誤によって死亡又は傷害が発生した場合又はその疑いがある場合には、施設長は、速やかに所轄警察署に届出を行う。」としている。この厚生省の指導は、そもそもの医師法21条の概念と、次の2点で食い違っている。殺人のような犯罪を前提として捜査を行う警察に、厚生労働省が所管するはずの医療の事例を届け出るよう指導したこと、医師法21条では「医師」が届け出るとされているのに、「施設長」が届け出るとしたことである。(福島県立大野病院の事例では、院長が届け出ないと判断し、産婦人科医はこれに従ったにも関わらず、産婦人科医が逮捕された。)そのうえ、厚生労働省は、死亡診断書記入マニュアル に、「「異状」とは、「病理学的異状」でなく、「法医学的異状」を指します。「法医学的異状」については、日本法医学会が定めている「異状死ガイドライン」等も参考にして下さい。」と記載し、一学会のガイドラインに過ぎなかったはずの法医学会ガイドライン を、厚生労働省の指導としてしまったのである。
 さらに、医師法21条を巡る現場の混乱を決定づけたのは、平成16年の最高裁判所判決(PDF)である。東京都立広尾病院で起きた誤投薬 (PDF) を警察に届け出なかったことについて、医師法21条に基づく警察届出を医師に義務づけても許容されるとして有罪が確定した。そして、平成18年2月18日、福島県立大野病院の産婦人科医が、業務上過失致死罪及び医師法21条違反に問われ、逮捕されたこと は記憶に新しい。
  130年前から変わっていない医師法21条が、その間、日進月歩を続けてきた現代医療を規定するルールとして機能していないことは明らかである。このような届出制度に代わって、医療における臨床経過の解明と再発抑制を目的とした、届け出制度と解明機関を早急に整備する必要がある。



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